ニコラス新刊

私のお気に入りのニコラスの新刊が届いた。ニコラスと言ってもケイジじゃなくてハンフリーの方。やったー♪

Seeing Red: A Study in Consciousness (Mind/brain/behavior Initiative)
Seeing Red: A Study in Consciousness (Mind/brain/behavior Initiative)

日本語にすると「『赤』を見る」でしょうか。認知心理とか意識についての本だけど、学術書じゃなく一般向け。図まで全部かわいい。絵本のようなつくりになっている。

友だちに「ダーウィン?やめてよ〜〜」と言われる。

こないだフェミ友人の社会学研究者と話していて、最近、ダーウィン主義フェミニズムにハマってんだよね〜と言ったら、「えーっ、なんで今さらダーウィンなん。やめてよ〜〜」と言われた。なんでなんで?と聞くと、

  1. ダーウィン主義をはじめとする生物学は本質主義だということで批判されている。(しかも批判は歴史的にも終結している)
  2. ダーウィニズムは優生思想として利用されてきた(のでフェミ的立場から反対)。

という返答だった。

うわ〜〜〜、人文系学者による生物・ダーウィン批判や!(と決めつけるのもどうかと思うが)、実在するんだ〜〜!というのが第一印象。情けないことに、私はこれまで、こういったタイプの批判にでしか接したことがなかったのだ。説明がながくなるので避けていた感もある。

その後、少しだけ解説を試みたりしたが、なんとなく不発に終わる。いま一番言いたいのはこれだ。
ほんとに使えるんだって。想像できないでしょうが!

想像できないでしょうが!

こないだ久々に研究会のあと飲みに行った。焼きトンとマッコリがすごいうまかった。やー、マッコリうまいわ。家でも飲めへんかなと思ってネットで探したら、マッコリを売ってるページをみつけたんだけど、マッコリのうまさを熱く語っている部分に、
 想像できないでしょうが!
と書いてあった。堂々の売り込み。飲みたいわぁ。
http://www.h3.dion.ne.jp/~hamadaya/page033.html

緊急避妊薬が薬局で買えたら。

昨日読んだ文献。
JAMA(The Journal of American Medical Association)去年の1月号に、
緊急避妊薬を、病院以外でも入手可能にしたら、どうなるか?
という調査が載っていた。これは、緊急避妊薬*1が薬局等で販売され、一般の人が入手しやすくなると、性感染症が増える、という主張*2を検証したもの。

研究は、サンフランシスコで、15〜24歳の女性2000人以上を対象に行われた。薬局で買えるようにした人たちと、事前に3回分渡しておいた人たち、それと、病院でないと入手できないという人たち(コントロール群)の性行動や妊娠率などを比較。調査開始から6ヶ月で、緊急避妊薬を使った人の数は、薬局&病院のグループが2割、事前調達のグループが4割と、2倍の使用率になったらしい。でも、妊娠率(8%)と、性感染症の感染率(12%)、コンドーム使用率(4割)は、どのグループも差がなかったんだって。

この論文では、「だから緊急避妊薬を薬局で買えるようにしても性感染症が格段に増えるわけではないし、性行動が無防備になる訳でもない(変化がない)」という結論だった。

緊急避妊薬がすぐに使える人たちで妊娠率が下がってないのが、なぜなのかがすごいナゾだけど、個人的には性感染症が増えたとしても、緊急避妊薬は薬局でも買えるようにしたらいいのではと思う。もちろん、緊急避妊薬には副作用がけっこうある(体験済み)からちゃんと受診して服用するにこしたことはないが、実際には運営ポリシーから処方しない産婦人科があったり、値段がすごい高かったり(100円くらいでいいよ、っていうお医者さんから、8000円っていうケースまで聞いたことがある)するので、いざという時に利用できない可能性があるからだ(これは日本の場合)。

その上で、性感染症については、別個のものとして、学校でちゃんと教育するとか対策をもうけるべきなんじゃないだろうか。いや、しかし、こういう調査がちゃんと行われるなんて、アメリカでも良識派の人もいるんやねえ。

*1:一般的には中用量ピルを膣内射精後72時間以内に飲み、人為的に生理を起こして着床を防ぐ、というもの。日本でも処方してくれる産婦人科があります。

*2:この主張により医療機関でしか入手できない状況になっている

「たいへんに読みやすいです」

連載原稿の返しが来る。編集者の人から、回を追うごとに良くなっているとほめられる。しかも、
 たいへん読みやすいです。
ではなく、
 たいへんに読みやすいです。
と書いてあり、私の文章技術が尋常ではないと言われたかのような気分になる。そうなってくると、この編集者の人とはなんか感覚が合わないのではないか、と思っていたのが、そう合わない訳でもないという気になってくる。などと考えている自分はどうかと思う。